チーム・マネジメント

有人宇宙の運用管制から、チームマネジメント、人間-機械システム、そしてヒューマンファクターズを考える

【惨事(Tragedy)】 アポロ1号 火災

人命喪失に繋がった重大事故としてNASAが乗り超えてきたアポロ1号の火災事故があります。3名の宇宙飛行士 グリソム、チャフィー、ホワイトが地上試験中に命を落としました。ここでは事故の詳細まで深入りしませんので、興味がある方はWikipediaにUSサイトを和訳していただいているので参照してください。(アポロ1号 - Wikipedia


事故が発生したのは、1967年1月27日に地上で行われたアポロ司令船の電力試験においてでした。危険性の高い燃料等は搭載されていなかったため、危険はないと考えられていました。宇宙飛行士は、宇宙服に着込み、シートベルトを締め、司令船のハッチは閉められました。トラブルのために何度も試験は中断されましたが、試験は継続されて司令船の内部電源に切り替えられました。電圧計が一瞬急上昇した後に低下し、宇宙飛行士から火災発生の報告が入りました。宇宙飛行士は脱出を試みしたが、火災のために船内の気圧が高くなってハッチが開かず、船内は焼失しました。


その後の事故調査で原因として、①船内の空気が高圧の純粋酸素で満たされていた、②ナイロン・ベロクロのような可燃性素材が大量に搭載されていた、③配線の被覆がはがれるなど電源ケーブルがショートして火花が発生した、④船内の気圧が高くなりハッチが開かなくなっていたが指摘されました。


NASAは苦い経験を受けて、その後の宇宙船内の空気は酸素と窒素の混合気にしています。ただし、急減圧時に血液に融けている窒素が血管内で気化してしまう減圧症(いわゆる 潜水病)を引き起こす原因となり、宇宙飛行士は打ち上げ及び帰還時に気密服を着ています。システム開発と独立した安全審査組織がハザード制御を進め、火災の原因となる要因を排除しています。


前置きが長くなりました。アポロ1号火災事故の時、管制官はどう考え、どのように行動したのでしょうか? ヒューストンの管制センターからNASA有人宇宙活動であるマーキュリー計画ジェミニ計画及びアポロ計画を指揮してきたジーン・クランツ (Gene Kranz)の回想録から当時の様子が伝わってきます。


試験が実施されたフロリダとヒューストンは離れていますが(宇宙飛行士は航空機で移動します)、試験当日に回線で繋がっており、管制センターでも音声交信ができ、アポロ宇宙船のデータも受信していました。危険はない試験と考えられており、度重なる試験中断がありました。そして、ヒュートンにも火災の報告が入り、そして宇宙飛行士の狂気な最後の声も伝わっていました。


事故究明を進めるため、管制センターは外部から遮断され、運用システムは全て停止、全てのデータはプロテクトされました。管制官は彼らが見て聴いたことの全てを記録することが求められました。ミッションに暗雲が漂い、管制官たちも苦渋な時を越えなければなりませんでした。


私は良く知った人々の顔を見ながら4段の階段を登って演壇に立ち上がった。彼らが心理的衝撃を乗りこえることを望み、聖ペテロの書簡のように語りだした。「懺悔や怒りを収めて、これから間違えを犯さないようにしよう。この通り、我々は悲惨な悲劇で完全に打ちのめされた挫折を経験したが、これは終わりではない。試験やプログラムは継続されるだろうし、我々はそれを前進させるためにいる。アポロ1号クルーの死を無駄にさせないことは我々に掛かっている。」私は自分の気持ちから話し始めて、最終的にそのような言葉が出てきた。どこから来たか私も知らなかったが、私はゆっくりと意図的に信念を持って話していた。「宇宙飛行は、不注意、無能力、怠慢を容認してくれない。」  ジーン・クランツ (Gene Kranz)


大きな挫折を乗り越えてきたチームだからこそ、「人を月へ立たせるという」というミッションを達成し、アポロ13号の危機的事故に対しても奇跡の生還をもたらすことができたと思います。



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Apollo 1     Credit: NASA

参考文献