世界の全てを書き下すことができるのか? 【暗黙知】
1950年代にドラッカーが知識社会(Knowlege Society)の到来を予想し、知識労働者(Knowledge Worker)との用語が生み出されました。ドラッカーは、知識が価値を生む社会との説明だけではなく、高い割合の子供たちが進学して知識労働者が増えることも指摘していました。そのため、社会構造も変化することも見通していました。実際に日本では6割が大学に進んでいます。知識社会では、知識労働者が知識の生産や応用を従事する仕事につき、社会を支配する権力を持つようになりました。
知識社会から更に時代は進んでおり、現代では知識労働者が知識という価値を生むということも疑う必要があるのではないでしょうか。昔は知識や情報を囲い込む・独占することができましたが、情報通信技術(ICT)の発達と伴って情報を伝送するコストは低下し、世界中を情報が駆け巡っています。誰でも必要な情報を入手することが容易になってきました。インターネットで入手できる知識だけを持っている知識労働者は新しい価値を生むことができるのでしょうか?
価値を生む知識の代表として、無形資産(Intangible Assets)である知的財産(Intellectual Property)があげられます。知的財産は、特許、意匠、商標などが該当します。10年~20年前ならば、日本で特許権を取得すれば、20年に渡って新規技術の実施を独占することができました。特許は技術公開の代償として独占権を得ることができます。すなわち、一般に公開されており、誰でもその知識を入手できます。そして、日本以外の特許権を取得していない国で、その技術が用いられた場合には違法でないため、独占することができません(ただし、その技術で作られた製品が日本に輸入された場合、輸入差止めや賠償請求ができます)。
新興国の企業も、公開されている特許データベースにアクセスして、合法的に最先端の技術情報を入手しているのが実情です。そのため、他社との差別化につながる有用な技術上または営業上の情報は、あえて特許などとして出願せず、営業秘密(Trade Secret)として社内で管理して外部に漏れないような保護が取られます。
そもそも、技術を文書で記載すること すなわち 無形なものを有形にすることは、かなり困難を伴います。特許として認定される技術範囲は明細書などに記載されますが、その分野の人でなければ何が重要なのか理解できません。一度、知識が文書や図面に書き下されれば、世界中に拡散される可能性があります。しかし、世界にある全てを書き下すことはできないのではないでしょうか。
科学哲学者マイケル・ポランニーが提起した暗黙知(Tacit Knowledge)とは、「我々は、語ることができるより、多くのことを知ることができる」で表現されています。すなわち逆説的には、知っていることを全て言葉にできないことを指摘しています。更に解釈すると、言葉で表現した途端に一部の知識は失われることを暗示しています。例えば、経験を完全に記述しようとして、長文で記述すればするほど言葉は生きた内容から遠くなってきます。
知識社会や情報社会を超えるためには、「暗黙知の存在を認識して、暗黙知を修得することはできるのか?」との問いに答える必要があります。
表現できない暗黙知があるならば、論理的に考えて全てを表現する必要ないと考えるかもしれません。暗黙知を知るための近道は、対極として徹底的に論理思考を働かせて、考え出して可能な限り表現することになります。究極まで試みて、それでも表現できなかった部分が暗黙知と分かります。本質を理解するためには、卓上で紙に書いてあることを読むだけではなく、徹底的に考えた上で、実務や現場において暗黙知も含めて事象を認識する必要があります。
暗黙知の例として挙げられるのは、私たちは会った人の顔を知っており、次回会った時もその人であることを特定できます。その人の特徴を幾つか上げることはできると思いますが、その人を知っているということを表現することは困難です。人間では当たり前にでき3歳児も身につけている能力ですが、機械ではようやく精度の高い顔認識ができるようになってきました。例えば機械の利点として、監視カメラの映像に容疑者が写っていないかを人間が24時間連続してモニタすることはできませんが、機械ならば可能となります。
ポランニーの好んだ例として、ハンマーで釘を打つ動作があります。簡単な動作のように見えますが、ハンマーや釘は自らの感覚にはなく、手にある触覚や視覚にて、現状のハンマーや釘の位置を認識する必要があります。手どの部分が圧迫されているから釘があり、指でどのように釘を支えるのか、ハンマーをどのくらい握って、腕をどのくらい振り上げて、自分の手ではなく釘の頭をハンマーで叩くように振り出すのか。言葉では表現できません。
このような暗黙知を伴う「釘を打つこと」は、先人を見よう見まねで修得して、経験して上達する必要があります。生活するうえで、歩くこと、走ること、話すこと、書くこと、自転車に乗ることなども暗黙知を伴う動作であるともいえます。人間と人工知能の違いを述べる時、身体性(Embodimemt, Corporeality)というキーワードをよく聞くようになってきました。人工知能はロボットを伴わなければ実体はありません。身体性 すなわち 実体(身体)を有すると、実体のない暗黙知を伴う禅問答のようです。
技術継承(以前の記事)でも述べましたが、暗黙知を伴う知識は師匠から弟子へと引き継がれなければ伝わらないこともあります。今日までに引き継がれず失われた知識も多いでしょう。チームならば、言葉や図表で表現できる形式知(Explicit Knowledge)も、暗黙知も引き継ぐことが期待できます。
参考文献