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チーム・マネジメント

チームマネジメント、人間-機械システム、そしてヒューマンファクターズを考える

【惨事(Tragedy)】 チャレンジー号 爆発事故

事故教訓

 1月27日でアポロ1号火災事故(以前の記事 【惨事(Tragedy)】 アポロ1号 火災 - チーム・マネジメント)から半世紀(50年)が経過しました。歴史を感じますが未だ半世紀なのかとも思います。そして、1月28日にはチャレンジャー号爆発事故、2月1日にはコロンビア号空中分解事故が起きており、1月末は有人宇宙において重大事故が発生している魔の時期です。

 1986年1月28日(日本時間 1月29日) スペースシャトル チャレンジャー号(Space Shuttle Challenger)が打上げ直後(73秒後)に爆発し、7名のクルーが亡くなる事故が起きました。 チャレンジャー号にはミッション・スペシャリスト(Mission Specialist)として、ハワイ出身で日系人初の宇宙飛行士 エリソン・オニヅカ(Ellison Shoji Onizuka, 日本名:鬼塚 承次)も搭乗していました。打上げの映像は世界に向けて発信されており、衝撃的な事故映像は日本のニュースでも取り上げられていました。私も事故映像をビデオに録画して、何が起こったのかが知りたくて何度も何度も見ました。当然ビデオを見ただけでは理解できませんでしたが、悲観的な気持ちとともにその映像は記憶に鮮明に残っています。

 事故の原因は明らかになっており、右側の固体燃料補助ロケット(SRB: Solid Rocket Booster)の継ぎ目から固体燃料を燃焼した高温ガスが噴き出し、その燃焼ガスで固体燃料補助ロケットを外部タンクに留めていた金具が破損して、固体燃料補助ロケットが外部タンクに衝突しました。外部タンクが爆発し、そして上昇中だったチャレンジャー号は空中分解しました。事故の発端となった全長45.46mの固体燃料補助ロケットは、運搬の都合から一体ではなく、幾つかに区分けした構造を接続していました。構造接続部の継ぎ目から燃焼ガスが漏れないように、O(オー)リングと呼ばれる弾力性のある樹脂が継ぎ目に2つ挿入される設計になっていました。

 当初の計画では 1月22日にチャレンジャー号の打ち上げが予定されていました。度重なる打上げ延期となって、打上げ日は 1月28日に設定されました。打上げ当日、射点のあるケネディ宇宙センター(KSC: John F. Kennedy Space Center)に寒波の襲来で気温が氷点下となることが予想されていました。普通の輪ゴムを例として判りやすいかも知れませんが、ゴムは冷たくなると固くなって弾力がなくなります。同様にOリングでも冷えると硬化して弾力を失い、固体燃料補助ロケットの継ぎ目から燃焼ガスが漏れだしたと原因が特定されています。チャレンジャー号の打上げ時の気温は2.2 °C(36 °F)でした。

 その現象を知らずにチャレンジャー号が打上げられたわけではなく、NASAそして固体燃料補助ロケットを製造したモートン・サイオコール社(Morton-Thiokol Inc.)も問題として理解していました。実際に燃焼ガスが漏れ出してスペースシャトル及びクルーを失う重大ハザード(Hazard)として識別されていました(以前の記事 危険や不測の事故を避けるために 【ハザード制御】 - チーム・マネジメント)。ただし、打上げ時の気温が何度以下になったら燃焼ガスが噴き出すのかが明確ではありませんでした。

 技術検証の過程を見てみると(参考文献1)、1981年に2回目のスペースシャトル(STS-2)打上げ後、再利用のために回収された固体燃料補助ロケットを分解・点検した時、Oリングの損傷が初めて確認されています。Oリングの損傷に関わる問題は数年に渡って評価が行なわれ、毎回のスペースシャトル打上げにおいても指摘されていました。そのため、狼少年のようにチャレンジャー号の時もまた騒いでいるとの捉え方がされています。

 その対策が遅れた理由として、2つのOリングが取り付けられており、当初は冗長設計であるとみなされていました。1番目のOリングからガスが漏れても、2番目のOリングによって防げる。確認されている損傷も1番目のOリングであり、2番目には問題ありませんでした。しかし、同じ素材であれば同じ条件(温度低下)で2つのOリングともに弾力を失います。すなわち、1つの原因で2つとも機能を失うため、冗長とは言えません。その指摘に対して、設計逸脱を認めて技術的理由をつけて設計変更を行なわれませんでした(NASA内部の手続きでWaiverとして処理されています)。

 設計段階では、Oリング単体では-3.9 °C(25 °F)となっても弾力を維持する仕様となっていました。そして、固体燃料補助ロケットは温度範囲 4.4~32.2 °C(40~90 °F)で使用することで認定されていました。しかし実際には、1985年のスペースシャトル(STS 51-C)は気温11.7 °C(53 °F)で打上げられ、1番目のみではなく、2番目のOリングにも損傷が確認されました。

 打上げ前日(1月27日)、モートン・サイオコール社は気温11.7 °C(53 °F)以上ではなければ打上げを推奨しないと連絡しました。その温度で制限すると4月まで打ち上げられない可能性がありました。実例を根拠として11.7 °C(53 °F)の制限温度が設定されており、技術的な根拠が議論となりました。明確な根拠をもった数値・データならば、それほどの混乱や議論にならずに、直ぐに打上げは延期されてチャレンジー号の悲劇は起きなかったでしょう(打上げを急いだ政治的な思惑もあったとも言われています)。

 これまで大丈夫であったから今回も大丈夫だろうとの過信が、「安全が確認できなければ打ち上げない」から「安全でないと証明できなければならない」と根底的な方針を変質させたとも言えます。その後、モートン・サイオコール社も低温における打上げを許容してしまいます。

 それは数値の怖さでもあるかもしれません。スペースシャトルを打上げられる条件は打上げ許容基準(LCC: Launch Commit Criteria)で定められていました。打上げ許容基準(LCC)では、打上げが許容される気温範囲は-0.6~37.2°C(31~99°F)となっていました。何故か固体燃料補助ロケットの設計基準温度 4.4 °C(40 °F)よりも低く、打上げ時の気温は2.2 °C(36 °F)だったため、打上げ許容基準(LCC)内でした。打上げ許容基準(LCC)の最低気温が4.4 °C(40 °F)更に11.7 °C(53 °F)であったならば、1月28日の打上げは中止されていました。

 打上げ許容基準(LCC)の設定根拠は正しかったのか? そもそも基準値ぎりぎりで打上げる必要はあったのだろうか? リスク管理における「喫水線」原則とは、『船に乗っているとして、何らかの決定を下し、悪い結果になったとき、船の側面に穴が開くと想定する。喫水線の上に開くのであれば、海水は入ってこないので沈没することはない。穴を塞ぎ、経験から学んで、航行を続ければいい。しかし、喫水線以下に穴が開けば、大量の海水が入って、船が海底まで沈みかねない。』チャレンジー号の打上げは、喫水線ぎりぎりに穴をあけることと同じだったのではないでしょうか。

 事故報告を再度振り返ってみて、チャレンジー号事故後の設計変更や対策を確認すると、Oリングの弾性低下を防ぐためにヒーターを追加したり、ガス漏れを低減される構造へ見直しがなされています。打上げ許容基準(LCC)の最低気温を11.7 °C(53 °F)へ変更する以前に、断熱ブランケットやヒーターの設置が遅れた背景はわかりません。新しいロケットブースタの開発が進められていたからでしょうか。

 国際宇宙ステーションの組み立て完了後、2011年のフライトを最後にスペースシャトルは退役しました。スペースシャトルには、打上げ時にクルーを安全に退避できない時間帯が生じていました。正にその時間帯にチャレンジー号の事故は起きています。設計検討において、スペースシャトルは高い信頼性が期待できるので脱出装置(Launch Escape System)は必要ないとの結論になったようです。アポロ(Apollo)宇宙船やソユーズ(Soyuz)宇宙船には脱出装置は搭載されていました。Space Xが開発している有人宇宙船 Dragon V2も脱出用エンジンが搭載されます。

 安全確保のための運用コストが跳ね上がっただけではなく、クルーの安全を保証できない設計でもあることが、スペースシャトルの退役を早めた理由かもしれません。今日となっては、ビデオで記録として残っていますが、スペースシャトルの打上げを2度と見ることができなくなって残念です。

 

Space Shuttle Challenger Lifts Off

 

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参考文献

  1. The Challenger Launch Decision: Risky Technology, Culture, and Deviance at Nasa
  2. ビジョナリーカンパニー3 衰退の五段階
  3. ヒューマン・エラー学の視点―想定外の罠から脱却するために
  4. 増補 スペースシャトルの落日 (ちくま文庫)