チーム・マネジメント

有人宇宙の運用管制から、チームマネジメント、人間-機械システム、そしてヒューマンファクターズを考える

人は何に恐れるのか、怖れを克服するには【恐怖】

 人間が懐く情動の1つして「おそれ(恐れ、怖れ)」があります。あまりにも日常的に感じ、当たり前すぎる感情かもしれません。私たちの日常において多大な影響を与えている感情ですが、実体は何ものなのでしょうか?

おそれる(恐れる、怖れる)
① 身に危険を感じたりしてびくびくすること。
② 何か悪いことが起こるのではないかと気づかう。
③ 相手の力におされて心がよわくなる。

 生命の進化と共に習得した古い脳では、恐怖を感じた時、戦うか または 逃げるかを瞬時に判断しなければなりませんでした。この能力があるから捕食者に囲まれた世界においても生き抜いてこれました。科学技術も進歩して、通信ネットワークが張り巡らされた世界になりましたが、数万年前から習得した能力が失われずに働いています。

 恐怖を感じる発端は、突き詰めて考えれば、死を招くことを予感することが大きいと思います。現代社会の中では死が少し遠いものと感じるようになりましたが、高い場所に立てば足がすくむし、自動車を猛スピードでかっ飛ばせば危険を感じます。刃物を持った不審者を見かけたら別の方向へ逃げたいし、自爆テロが身近で起きれば命があっても恐怖に打ちひしがれます。そして、命を奪われるがん・急性心筋梗塞脳卒中などの病気になることを恐れます。

 

 今日において打上げロケットの成功確率も高くなりましたが、宇宙飛行士はまさに死と向かい合わせの職業です。古(いにしえ)から死と向かい合わせの職業と言えば軍人(武士)です。アメリカやソビエト連邦でも、初期の宇宙飛行士としてパイロット出身の軍人が選抜されています。宇宙飛行士が恐怖を超えるため、それに打ち勝てるまで鍛練して訓練を積むことと理解していました。それだけではなく、カナダ人宇宙飛行士 クリス・ハドフィールドさんが恐怖について語ってくれています(彼も軍パイロットの出身です)。古い脳から解放されるためにも一度視聴してみて下さい。

 例としてクモを取り上げていますが、毒グモに噛まれれば死にいたる可能性はあります。クモを見ただけで恐怖を感じるかもしれません。実際に調べてみれば、 世界に約5万種のクモが生息している中で毒を持つクモは24種類だけです。24種類のクモを区別できるようになれば危険は回避できます。

 日本で危険を感じるのはヘビやハチでしょうか。足元でにょろにょろ動いていたり、頭の上でぶんぶん飛んでいれば、警戒してしまいます。日本に生息する毒ヘビは、マムシヤマカガシ奄美諸島以南に棲むハブの3種類で、それ以外のヘビは無毒です。マムシとヤマカガシは冬眠するので、4月から10月にかけて特に注意する必要があります。ハブとマムシは三角形の頭をしているのが特徴です。衣服の上から噛まれると毒が体内に入らないことが多いので、長袖・長ズボンを着用すべきです。

 ハチを見つけたら過度に刺激を与えなければ近づいてきません。パニックになって騒ぐと襲ってくるかもしれません。刺されると激しく痛み、赤く腫れます。アナフィラキシー(Anaphylactic)反応を起こしてしまうと、痙攣(けいれん)、呼吸困難、血圧低下などの症状を発症して命にかかわります。日本各地に分布しているのはスズメバチです。そして毒性は低いですが針が太いクマバチ(クマンバチ)がいます。蜂の巣を見つけたら専門業者に頼みましょう。

 

 クリスさんの体験談に戻って、宇宙服を着用して船外活動 (Extra Vehicle Activity: EVA)を実施していた時、目が見えなくなった事件を振り返っています。宇宙服の中で自由に身動きができず、ヘルメットの中に手はいれられないため、目を擦ることもできません。宇宙服を隔てた先は超真空の宇宙空間です。地上の巨大プールの中で緊急事態を想定した訓練を積んでいるため、恐怖は感じずパニックにはならなかったそうです。船外活動はバディ方式(Buddy System)で必ず2名で行うため、相棒の宇宙飛行士が船内まで連れて行ってくれます。原因は目にしみる曇り止めだったとのことです。

 古い脳について説明しましたが、 危険と感じること(恐怖)と実際の危険は異なることを伝えています。恐怖を感じることを理解して克服すれば、自らを制約していたことから解放され、本当に避けなければならない危険を知ることができます。そして、危機を回避する方法を身につけることができます。日本人宇宙飛行士 若田 光一さんも「正しく恐怖する」ことを強調して、アメリカ思想家エマーソンの「恐怖は常に無知から生じる」という名言を取り上げています。

 

 恐怖を克服する術というのは、戦場における平常心を持てた武士・戦士が備えていたとも言えます。日本では失われつつあるのかもしれません。身に危機が迫っている状況においても、気持ちも昂らせずに冷静にいられるのだろうか。落ち着いた意識で冷静に周りの状況を把握できるのだろうか。それだけでなく、平静さを保てるかどうかで生と死を別けてしまいます。

 明治時代以前の日本人が備えていた強さというのは、そんな心構えから来ているのかもしれません。死に直面して詩を吟ずることができる人は、常日頃から死すなわち生を見つめ、悔いの無い人生を送ってきた尊敬すべき人であります。

 武士の心の1つで剣道の教えとしても脈々と受け継がれている「残心」があります。残心とは、文字通り「心を残す」ということですが、勝負が決まっても油断せず、相手のどんな反撃に対しても対応できるような身構えと気構えを常に心がけることを表しています。そんな強い心構えを持てれば恐怖に打ち勝てます。

勝負の結果がどうあっても、心身ともに油断しない。興奮しない。落ち込まない。平常心を保つ。ゆとりを持つ。節度ある態度を見せる。周りを意識して行動する。負けた相手を謙虚に思いやる。感謝さえする。これすべて残心である。 アレキサンダー・ベネット

Canadian Space Agency Astronaut Chris Hadfield

 

参考文献

  1. 宇宙飛行士が教える地球の歩き方
  2. 一瞬で判断する力 私が宇宙飛行士として磨いた7つのスキル
  3. アポロとソユーズ―米ソ宇宙飛行士が明かした開発レースの真実
  4. 隠れた脳
  5. 武士道 (PHP文庫)
  6. 武士道の逆襲 (講談社現代新書)
  7. 日本人の知らない武士道 (文春新書 926)

取るものなのか、追求すべきものなのか【責任】

 新聞やニュース、日常において聞かないことがない言葉に「責任」があります。当たり前の言葉と考えていましたが、本質まで問い詰めるとよくわからなくなりました。広辞苑では、①人が引き受けてなすべき任務、②政治・道徳・法律などの観点から非難されるべき責(せめ)とあります。

 責任に対応する英単語として"Responsibility"があります。意味的にも任務(duty)や誤った場合に避難される(blame)ことを示しており、Responsibilityの直訳として責任があてられたとも思えます。Responsibilityの語源から考察すると、Responseが応答、Abilityが能力を表しており、「応答できる能力」との意味になります。応答(Response)するのだから相手がいることになり、人間関係が存在することになります。責任があることを「相手から求められていることに応答する」と狭く解釈すれば、結果はどうであれ応答することが重要になります。事前に決めた手続きに則っていれば責任を問われない、まさに官僚的な対応です。

 それに対して、フランス語を語源に持つアカウンタビリティ"Accountability"(説明責任とも訳されますが、適切でないのでカタカナ表記とします)は、元来は資金提供者に対して事業内容や収支についての情報公開をする義務でした。現在では、資金提供者だけではなく従業員や地域社会など広い範囲の利害関係者(Stakeholder)を対象として、権限を行使するものが利害関係者に対して負う義務と解釈されます。対価として報酬を伴っており、自己の立場に応じて果たさなくてはならない義務です。責任と義務は、混乱して用いていますが、似ているようで異なる意味です。

 

 責任を「応答できる能力」と捉えることから始めて、社会にて責任というキーワードに求められていることは何でしょうか? 責任は能力ですから誰かに帰属するものです。その責任者が適切に応答できなかった場合、非難されて、更なる対応を求められます。不祥事などが起きた後の記者会見にて、責任者が頭が下げる映像が放映され、責任を取って辞任したことが報道されます。重要なことは問題を解決することのはずですが。

 階層型組織では上位に上がるほど権限(命令や判断を下すことができる権利)を持つことになります。執行役(Executive)であれば責任者と同一とみなされますが、権限と責任はまったく別で同じではありません。けれども、CEO(Chief Executive Officer)の日本語訳は最高経営責任者とされています(日本では経営責任だけ取れば良いのでしょうか?)。

 契約書上のように甲と乙の関係だけならば、応答できなかった場合には相応の損害賠償を行なうことで済むはずです。その責任が利害関係者だけではなく、第三者を含めた社会に対しても及ぶとなると複雑になってきます。公的な立場(大臣、議員、公務員など)であれば、公共に対しての責任を持つことになります。したがって責任を持つとは、任さられた責務をやりとげること、約束を守ること、信じられることになります。

 

 責任ある行動とは、他人の言いなり、状況や環境のせいにせず、自ら応答する行動であるとも言えます。応答しないことも自ら選択できるとすれば、意識的な選択の結果であるとも見なせます。主体的に選択して行動することを自由とすれば、自由に伴って責任が生じるとも言えます。理想的な自由主義(Liberalism)に従えば、個人が自らの意思で行動することができ、自らから決定したことなので自ら責任を持つことになります。

 そのような自由主義的な考えを基礎とすれば、何か問題が発生すると「それに対して適切に応答しなかったのは誰だ」と責任の所在を追求するようになります。不祥事において、問題解決よりも、犯人探しのように責任者探しとなり、「私はやっていない」など責任の擦り付け合いとなります。理想的な自由人ならばともかく、実社会において自らの行動すべてを自由意思で決めていないと思われます。何もしなかったことで過失責任が問われることもありますが、何もしないことを決断していたわけではないでしょう。ただし、法治国家として過失の罪を免れることはできません。

 逆説的に、自由主義が社会に浸透して、人々は何かあったときに個人の責任を追及せずにいられない存在になった。とすれば、当事者ではないのに、メディアにおける不祥事報道の過熱ぶりを理解できるかもしれません。

 

 責任の取り方として、責任を取って辞める(引責辞任)がよく聞きます。高収入や名声を伴った立場だから、責務をやりとげられなかった代償として、職を退くことです。古来では責を問われたならば、武士は切腹を命じられました。江戸時代まで切腹は「武士が罪をつぐない、過を詫び、恥を免れ、友を救い、自己の誠実を証明する行為」と認識されていました。日本ではその切腹が脈々と受け継がれ、引責辞任、自殺に追いやられる事件につながっていると思います。

 米国は訴訟社会であるため、責任を取るといった場合は「訴訟の対象になることも覚悟している」ということになります。したがって、契約書上も責任が免責となる条件などが細々と記載されてきます。その他の責任の取り方として、隣国である韓国の情勢や歴史を垣間見ると、権力を失権して刑事罰を問うような糾弾がなされます。

 

 責任の所在を問い詰める場合、大きな組織ならば関与した人も多いために曖昧になってきます。それでは、国の責任が問われるとしたらどうでしょうか? 例えば、福島第一原子力発電所の事故では、国の責任も問われています。国会において、地震による津波が押し寄せた場合、当時の防波堤では防げないことが指摘されています。その危険性が認識されていながら、国は東京電力に対策を取らせていませんでした。裁判で争われていますが、国の責任が認められれば賠償がなされます。

 日本国という機関ですが、責任者は具体的に誰になるのでしょうか? 内閣総理大臣国会議員から選出され、国会の議論を受けて津波対策を取らせなかったのは国会議員であったとします。民主主義ですから、国会議員は選挙を通じて国民によって選ばれた我々の代表者です。我々の主義・主張に基づいて(例えば経済優先)、国会議員そして政府が対応をしなかった。国が賠償するならば、国民から集めた税によって補償金が支払われることになります。国の責任となれば、首相や大臣は辞任して責任を果たしたと言うでしょうし、官僚は法律や指示に従っただけと言うでしょう。結局として責任の所在は明らかになりません。日本的な「みんなの無責任」を招く結果になります。

 様々な問題は誰か1人の責任ということはないはずですが、責任者は誰だと犯人探しのようになっています。今回の考察を通じて、巡り巡っても個人を特定できないとすれば、問題を解決するほうに重点を置くべきと考えるようになりました。

 

 零戦

 

参考文献

  1. 「責任」はだれにあるのか (PHP新書)
  2. 自由という牢獄――責任・公共性・資本主義
  3. 切腹: 日本人の責任の取り方 (光文社知恵の森文庫)
  4. 「みんな」のバカ! 無責任になる構造 (光文社新書) 

太古から放射線の中で生命は生きてきた 【シーベルト】

 宇宙において核分裂核融合は常にどこかで行われている事象です。地球上で私たちが恩恵を受けている太陽からのエネルギーは、太陽が水素をへリウムに変える核融合反応によって生成されています。太陽サイズの恒星の寿命は100億年と推定されており、太陽誕生から46億年が過ぎて残り半分です。太陽中心にある水素を使いきってしまうと、ヘリウムの核融合反応を開始して炭素や酸素が生成されます。そして、太陽は急激に大きくなって赤色巨星となり、地球も太陽に飲み込まれます。その後、核融合反応が停止すると太陽は自らの重さで縮んでいき、宇宙に多く存在する白色矮星となって一生を終えます。

 太陽より10倍以上重い星(超巨星と呼ばれます)の場合、核融合の進行が激しくて寿命500万年と推定されています。水素そしてヘリウムの核融合反応の後、自重によって中心圧力が上昇そして温度も超高温となり、次の段階の核融合反応が開始され、酸素からマグネシウムやケイ素、そして鉄を作り出します。重い物質も生成されますが、鉄が最も安定な物質であるため、軽い物資は核融合して鉄へ、重い物質は核分裂して鉄へ変わっていきます。星の中心は鉄で潰れ、その後ばらばらに壊れて、生成した様々な物質を宇宙へまき散らします。

 まき散らされた物質が再び重力で星の中心に集まり、恒星そして惑星を形作ります。まさに宇宙の塵から地球も生み出され、生命が誕生し、人も宇宙の塵の申し子です。しかし、核分裂核融合などによって放射線が放出され、宇宙には放射線が満ち溢れています。強い放射線は生命を死滅させ、宇宙で生命を維持することは困難です。地球上では、地磁気、大気そして水によって放射線が弱められ、生命を守る環境が偶然にも維持されてきました。

 

 宇宙から地球へ降り注いでくる放射線宇宙線と呼んでいます。地球が大部分を防御してくれていますが、地球上の生命は常に宇宙線に曝されてきました。または、地球上の天然鉱物(ウランやトリウムなど)からも放射線が放射され続けており、私たちも自然環境から放射線による被ばくをしています。日本における平均の自然被ばく量(年間)は1.5ミリシーべルト(mSv)と計測されています(世界平均で2.4 mSv) 。ただし、大地の組成や高度によって地域差が生じます。

 人体や生物に対する放射線量を表す単位としてシーべルト(Sv)が用いられます。ただし、Svは大きな値であるため、千分の一の単位であるmSvが一般的に表記されます。人体に影響が生じ始める(発がんリスクの上昇がわずかに認められる)放射線量は100 mSvと言われています。100 mSv以下では人体への影響は観察されていません。放射線量は蓄積されていく量であるため、1時間当たり 1 mSvの放射線が照射されるならば100時間で達してしまいます。1 Svを超えると健康に害が現れ、具体的にはリンパ球が減少し始めて免疫力が落ち、感染症で命を落とすかもしれません。4 Svでは治療しなければ50%の被ばく者が死に至り、50 Svを超えると48時間以内に死亡すると報告されています。

 身近なところで、胸部レントゲン撮影を1回受けると0.05 mSvの被ばくをします。宇宙線の強度は、高度が上がるにつれて大気による遮へいが低下するため、1,500 m上昇するごとに約2倍になります。10,000 m上空を飛行する航空機では地上の100倍近い放射線が浴びることになります。東京-ニューヨーク間を航空機で移動すると0.2 mSvの放射線を被ばくすることになります。高度400 kmの宇宙ステーションでは、宇宙飛行士は1日 1 mSvの被ばくを受け、半年の滞在で約180 mSvにも達することになります。

 

 地球から離れた場合、地球圏の外側では太陽から放出されたプラズマの流れ いわゆる 太陽風が吹き荒れています。平均速度は秒速350~700km、温度は摂氏約10万度に達する太陽風は、主に陽子と電子からなり、まさに放射線の束と言えます。地球の中心には、溶解した鉄のコアが強大で巨大な発電機(ダイナモ)として電流を発生させ、強力な磁場を形成しています。この地球が生み出す地磁気によって、太陽風を捻じ曲げて弾き飛ばして、大気圏まで吹き荒れるのを防いでいます。このため、地磁気が弱い火星と異なり、大気が宇宙空間へ飛ばされることを防いでいます。

 太陽風地磁気が対決している場では、高いエネルギーを持った荷電粒子が多く存在します。アメリカ初の人工衛星 エクスプローラ1号に積んだ計器を通じて、宇宙物理学者 バンアレン(Van Allen)によって発見され、バンアレン帯(Van Allen radiation Belts)と呼ばれています。バンアレン帯の形はひしゃげたドーナツ状をしており、1,000 kmから60,000 kmに渡っています。地球圏を出るためには、この放射線量が極大なバンアレン帯を通過しなければなりません。可能な限り短時間で通過する必要があり、通過だけで20 mSV程度の被ばくをすると言われています。

 1972年 4月27日 アポロ16号は月から地球に帰還しました。その年の8月に大規模な太陽フレアが発生しました。もし宇宙飛行士が月面上にいて、太陽フレアから発生した太陽風を直撃したとしたら、宇宙服を着用していても10 Svに達していたと見積もられています。致死量に達する被ばくとなります。

 

 宇宙に溢れている放射線は何でしょうか? 1898年にイギリス物理学者 アーネスト・ラザフォード(Ernest Rutherford)がウランから放射される放射線を発見し、物質中で直ぐに止まる線をα(アルファ)線、なかなか止まらない線をβ(ベータ)線と名付けました。その後にβ線よりもっと浸透力が強い線が発見され、γ(ガンマ)線と名付けられました。現在ではそれぞれの正体について、α線がヘリウム原子核β線が電子、γ線が電磁波であることが判っています。そして、中性子線、陽子線といった放射線の種類もあります。

 放射線を出す物質のことを放射性物質と呼んでおり、ウランヨウ素セシウムなどがあります。α線を出す放射性物質にはプルトニウムウランがあります。生体に吸収された放射線のエネルギー量が同じであったとしても、α線による影響はβ線γ線と比べて20倍になります。この係数のことを線質係数と呼んでおり、単位 シーべルト(Sv)は線質係数を考慮して放射線量を表しています。 

種類 線質係数 正体 防御
α線 20 高速で飛び回るヘリ
ウムの原子核
紙やアルミ箔程度
β線 1 電子の高速な流れ 厚さ数mmのアルミ板や厚さ 1 cm程度
のプラスチック板、水 10 cm程度
γ線 1 電磁波 透過力が強く、コンクリートや鉄、鉛
など、鉛でも 10 cm程度の厚さが必要
中性子 10 中性子の高速な流れ 遮へい困難、1 m以上の厚さの鉛が必要
水素原子を含む水によって減速、ホウ素
化合物などで吸収
陽子線 5~20 陽子の高速な流れ 到達距離は放射エネルギーによって異なる

 

 放射性物質放射線生成の仕組みについて、放射性物質は不安定な物質であり、安定した物質へ変化していきます。この反応を原子核崩壊と呼んでおり、放射性物質原子核放射線を放出して別の原子核に変化することです。原子核崩壊には、放出する放射線に応じてα崩壊、β崩壊、γ崩壊などがあります。

 放射性物質ウランを例として取り上げます。天然のウランには、質量数238の同位体を99.3%、235の同位体を0.7%、234の同位体を微量に含んでいます。同位体とは、原子番号が同じで質量数が異なるもの、化学的性質は同じです。自然にあるウラン238からの原子核崩壊は以下のように変化していきます。

 ウラン238 → トリチウム234 + α線(ヘリウム4)
 トリチウム234 → プロトアクチニウム234 + β線γ線
 プロトアクチニウム234 → ウラン234 + β線
 ウラン234 → トリチウム230 + α線
 トリチウム230 → ラジウム266 + α線
 ラジウム266 → ラドン222 + α線

 原子核崩壊はまだまだ続き、最終的には安定した鉛206に落ち着きます。原子核崩壊を受けて、地球内部からしみだしてくるラドン222(気体)が水に溶け込んだのがラジウム温泉です。

 

 原子炉燃料として使用されているウラン235は、中性子を衝突させると大変不安定な状態になります。そして、2つの原子核に分裂して、幾つかの中性子を放出します。代表的な核分裂反応としては下記のようになります。実際には80種類程度の核分裂生成物が生じることになります。これらの生成物が核燃料廃棄物に含まれています。

 中性子ウラン235 → イットリウム103 + ヨウ素131 + 2個 中性子
 中性子ウラン235 → ルビジウム95 + セシウム137 + 4個 中性子

 この核分裂によって、質量の総和は減少します。この質量欠損は、アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)が発表した相対性理論の結論である質量とエネルギーの等価性 E=mc2 に従って、質量と光速の2乗を掛け合わした甚大なエネルギーへ変換されます。

 ウラン235中性子を衝突させて、核分裂後に中性子が放出されます。新たに放出された中性子ウラン235に衝突すると、連鎖的に核分裂反応が継続することになります。放射性物質を集めてある程度の塊にすると、核分裂が連鎖反応を起きてしまう量を臨界量と呼ばれています。核爆弾は、ウラン235プルトニウム239の密度を高め(濃縮して)、臨界量に達せば作り出せてしまいます(怖いほど単純です)。1999年に茨城県東海村においてJCO臨界事故が起きていますが、街中で核爆弾が炸裂するほどに発展する危険性がありました。作業員の2名が亡くなり、1名が重症を負っています。

 原子炉燃料には、ウラン235と共にそれほど不安定でないウラン238が大部分の96%含まれています。ウラン238ウラン235核分裂で発生した高速中性子が衝突して生み出されるのがプルトニウム239です。プルトニウム239は、自然界にはごく微量であり、放射性物質として危険であることはもちろん、化学物質として発がん性もあり極めて猛毒です。臨界量がウラン235より少なくてすみ、核爆弾の原料として用いられています。

 中性子ウラン238 → ウラン239
 ウラン239 → ネプツニウム239 + β線
 ネプツニウム239 → プルトニウム239 + β線

 

 地球上の生命が放射線の中を生き抜いてきたということは事実です。放射線によって細胞内の遺伝子(DNA)の切断が起きることも知られています。生命にはDNAが受けた傷を修復する能力も身につけていますが、突然変異を誘発する原因となっており、種の進化を促してきた面もあります。自然放射線ならば自己修復できますが、大量な放射線を受けると、DNAがずたずたとなって大量に細胞が死んで生命が途絶えたり、がん細胞として変異することもありえます。

 原発事故が起きる前は気にしなかっただけで、放射線は私たちの周りを飛んでいます。核の時代とも言われる現代において、浴びる放射線の量を管理することは重要で、もしかしたら日常的なことになりつつあるのかもしれません。半減期(半分に減るまでの期間)2万4400年にもおよぶ人類が作り出したプルトニウム、多様な核分裂生成物が含まれた核燃料廃棄物を人類が管理し続けることができるのか疑問に思います。地球の磁気圏を超えれば、高密度の宇宙線放射線)が飛び回っています。それに対する防御方法を確立しなくては、人が搭乗した惑星間航行を達成することはできません。

Coronal Mass Ejection: Artist Concept (NASA, Sun)

参考文献

  1. 知っておきたい放射能の基礎知識 (サイエンス・アイ新書)
  2. 放射線のひみつ
  3. 増補新版 地底から宇宙をさぐる――ニュートリノ質量が発見されるまで
  4. 宇宙のつくり方
  5. 宇宙災害:太陽と共に生きるということ (DOJIN選書)